クリエイティブと鼻の穴

コピーライターの袋とじ

流されて、くそまぬけ。

というものは、いつでもモテたい。モテる方向と、モテない方向があれば、できればモテる方向に乗っかって行きたいと常々思っているもので、それが高じてサーフィンを始めたり、ギターを弾いたり、コピーライター養成講座に通ったりするわけで、じゃあ何、波乗りを始めたら、ギターをつま弾いたら、いかしたキャッチコピーを書いたら、今までモテておらなかった野菜のヘタみたいな、サクッと切って捨てられる食べられへんとこみたいなクズ男子が、ア〜ラ不思議、一夜にしてシンデレラボーイになれるのかといえば、神さん、なかなかイケズでございまして、波乗りしてるクズ、ギター弾いてるカス、コピー書いてるくそまぬけ、といった状態からなかなか救い出してくれず、結果、単に「スキルを身につけた変態」みたいなことで、ぼくなんかもまだまだ頑張っていかなアカンなあいうてるんですが、さりとて男というものは、まあ常々モテたいもんですから、女と二人で不忍池なんかを歩いておるときなんかも、女が「ボートに乗りたいワ」てなことをいい、指さした乗り場に通常の手漕ぎボートと、スワン型の、人を舐めくさったような、「白い子供騙し」と呼んでくれてもかまわない、白鳥型ボートが止まってあれば、素早くモテたい脳がモテるための計算式と解答を弾き出し、スワン型を回避して(もっとも、“こういうのもオレ好きだけどね”、という余裕を忘れてはいけない。シャレのわかる男子として、また頼もしさをすでに充分に女にアピールできているならば、ここであえてスワンを選択するのも『意外性』という効果をあげるひとつの手法である──)しかしながらボクがキミをエスコートするならこっちだよ、いうてスタンダード、かつ普遍的な恋人達のシーンを演出できる手漕ぎボートに乗り込んだのだが、よくよく考えてみると、そのとき自分はボートなぞ漕いだことがなかったのだった。

 

漕ぎボートいうのは、人が漕いでいるのを見ると簡単そうに見えるのだが実はむずかしい。左右のオールを均等なバランスで動かさなければ直進することもままならず、腕と脚を動かすコンビネーションやリズム、オールで水をつかむ角度なども重要でいろいろと奥が深いのである。ちょっと考えればそんなことぐらい分かろうものだが、恋は盲目。舞い上がって冷静な判断力を欠き、さらにはボートというものを完全に舐めくさっているこのくそまぬけは、「こんなもん、見よう見まねでだれでもこげるやろ」と自らのモヤシっ子ぶりを棚に上げた楽観ぶりでのうのうと乗り込んだのが運の尽きで、座るところがしぶきで濡れているよと言って、胸ポケットからハンケチーフを取り出し、女の尻の下に敷いてあげるところがその日のダンディズムの頂点であり、そのあと、このくそまぬけが発した言葉といえば「あれー、あれー、」であり、「おッかしいなぁ、」であり、「アカン! ぜんぜんまっすぐ進めへん!」であり、当初はこの向かい合って目の前で醜態をさらしておるくそまぬけに対して後に妻となるこの女も持ち前の母性本能でもってマリア様のように微笑みを浮かべながら眺めておったのだけれども、だんだんと口角を上げ続けるのがしんどくなってきたのか、焦ってオールをむちゃくちゃに掻き回すうち、水しぶきがお気に入りのブラウスを濡らす頃になればその表情は般若。(だったと思います。よう見いひんかったけど)。

 

ったく思うように動かせないボートはクネクネと蛇行し、さらには風が強い日だったので風向きの影響を受けてだんだんと予期せぬ方向へと流れ、流され、気がつくと水面に突き刺さった自転車、蛍光色のゴムボール、ウーロン茶の紙パック、ゴム長、裏返ったビーチサンダルに、二四時間コトコト煮込んだトンコツスープの灰汁のような波紋が水面にたゆたう、どんよりした芥の吹きだまりみたいな所に来ており、周囲を見渡せば、何人かの先客がいて、それらは自分と同じように、漕げもせぬボートに女を乗せ、颯爽と池に出てみたものの、夢破れ、風に乱れて、ここに辿り着いた恋の敗残者、亡者達の船で、皆必死にオールを漕いで、なんとかこの地獄から我先に抜け出そうと喘いでいるのだが、闇雲にもがけばもがくほど、それぞれ船の舳先が別の船にガンガンゴンゴン接触してあちらこちらでスイマセンッ、スイマセンッ、と聞こえてきており、なかの一艘がやっと、なんとか前に進んだ、抜け出せたと思ったらピューッと風が吹いてまたすぐに戻ってきたりを繰り返す阿鼻叫喚の世界で、ぼくは、もう二度と背伸びはしない。これからは自分の身の丈にあった恋を、生き方をしますと身体中から汗のような涙のような体液をしとどに流し続けながら、その渦の中でずっと敬虔な祈りを。

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イラスト/石川恭子