クリエイティブと鼻の穴

コピーライターの袋とじ

親父が一番イキってた日

朝食時、ダイニングテーブルの上にふりかけがあると楽しい。それが丸美屋「のりたま&バラエティー 5種類のふりかけスペシャルセット」であるなら最高である。その日の気分でわたしは、今日は安定の「のりたま」味で。明日はあえて責めて「鮭バター醤油」味にしようかしらんなどと考えてキャッキャッする。わざわざ発表することではないが、わたしはふりかけを選ぶのが好きだ。

ふりかけのなかには、見慣れぬ変わりダネもある。「ブラックペッパーを振ったハムエッグの味」を再現したという「ペパたま」がそれだ。スパイシーな風味のふりかけは、その名の通りブラックペッパーをイメージした黒いパッケージに、黄色いロゴで「ペパたま」と書かれている。それを──いったいどういうわけだかわたしは最初「パパたま」と空目していた。そして、ぼんやりと「パパたま」とは、どんな味だろうか。やはり「パパたま」というぐらいだから四五〇代の中年男性(パパ)が好む味をマーケティングによってすくい上げ商品化されたものであろう。

企業秘密とされている「パパたま」の中身とは……

 

・イカ焼き

・ビール

・カレー

・エイヒレ

・日本酒

・カニカマ

・味玉

・金箔

・トンコツスープ

・刺身

 

などの粉末エキスが絶妙のブレンドでミックスされており、オヤジの舌を甘美にとろけさせる。サラリーマンの聖地と呼ばれる新橋駅前・SL広場などで、不用意に「パパたま」を持ってうろつこうものなら危険極まりない。ヨダレを垂らし暴徒と化した中年男性が次々襲いかかってくる。いくら銃で撃ってもきかない。剣で斬りつけてもきりがない。なにせ、数が多い。植え込みの中から係長が飛びだし、SLの上から副部長が降ってくる。それほどまでに「パパたま」はオヤジをメロメロにする。「パパたま」を吸引すると脳内麻薬であるエンドルフィンが分泌され、多幸感と恍惚状態によって究極の快楽を得ることができるためである。そんな危険ドラッグのような「パパたま」が果たしてスーパーなどで一般販売されていてよいのであろうか! 奥様が鼻歌まじりに買い物カゴに入れてよいものであろうか! 今すぐに回収し、政府によって厳重に管理すべきである。「パパたま」は。

 

そのような妄想と戯れていたとき、ふと『金箔』ってなんだ、と思った。なんだと思ったと言われても困ると思うが、オヤジ好みの食の連想のなかに紛れこんできた、謎のイメージ。それがどこから来ているのだろうと記憶を手繰ってみたところ、台所で金箔入りの日本酒をぐいと飲んでいた父の姿が呼び覚まされた。

親父かよ。そう思ってしょうもない気持ちになったと同時に、腹立たしい思いが湧き上がってきた。今だから分かるのだけれど、あのとき父は完全に「イキっていた」。ちなみにイキる、というのは主に関西地方で使われる言葉で「意気がって調子に乗る」の意である。

 

夏の頃だったと思う。夕食時、ランニング姿の親父は──おそらく中元かなにかでもらったものだろう、金箔入りの日本酒を飲んでいた。今思うに価格にして二千円程度のものである。グラスの中に舞う金の桜吹雪をゆらゆら揺らし、恍惚の表情を浮かべる父。金といえば豪華、そして金持ち、というイメージしかなったわたしと妹は、うわー、めっちゃすごい、金や、お酒の中に金が入ってるやん! と大騒ぎした。そんな子どもらに父は堂々と言い放った。

 

「この酒はな、二〇〇万するのや」

 

近所の八百屋で大根を買ったときに、八百屋の親父が二〇〇円の大根を二〇〇万円と言ってくるどうしようもないかんじのアレと同様のアレだけれども、純真な小学生の兄妹はそれを真に受けてしまい、お父ちゃんスゴイ、お父ちゃんスゴイと囃し立てた。おだてられ、悪い気がしなかったのだろう。だいぶイキった父は「お前らも、いつかこの父のように金の酒を飲める立派な大人になりなさい」ぐらいのことまで言っていた記憶がある。そして、満足そうにニタッと笑った。その前歯に貼りついた金箔がキラリと輝いた。

まんまとだまされたわたしは翌日、クラス中に「我が父上は黄金酒を飲み干す豪傑なり」とハイテンションで触れ回った。──あのとき、父が「あれは冗談」とすぐに事態を回収していたのならわたしは今ごろ文句は言わない。エヘへと舌を出したのならとっくに笑い話で済んでいたことである。あれから三〇年余──いまだに回収していない。父は何もゲロってない。幻のイメージのなかにつくりあげた玉座に今もどっしりと鎮座ましましている。そんな若き日の父の「イキってた」記憶が、長い時を超えて不意にわたしを苛立たせる。あれは結局どうするつもりなのだろう。あのしょうもない嘘を墓場まで持っていくつもりか。今度実家に帰った際にはじっくり話し合う機会をもうけたいと思う。

まだある。

週末の父とのドライブでは、川沿いの土手の坂道を猛スピードで下り降りるのが恒例となっていた。煙草の煙が充満する車内。カーラジオから流れる中央競馬実況中継。うららかな日曜の午後、不意にアクセルを踏み込み加速した橙色のサニーはバイパス脇の側道に出る急坂を一気に下る。ひゅっ、と尻が浮くようなくすぐったい感覚がして兄弟は甲高い声で歓喜する。ジェットコースターみたい! と妹が叫ぶ。そのとき、親父がまたイキった。

 

「お前ら、三〇〇キロはゆうに出とるぞ!」

 

絶対に出てない。出ていたわけがないと思うのだけれど、子どもらは親父の言ったことを疑う術を知らず、ただ想像を絶するスピードがもたらすスリルに驚喜し、命知らずでワイルドな一面をもつ父の横顔をまたもや尊敬のまなざしで見つめるのだった。あの愛。幼き日の穢れなき憧れを全部返してほしいと思う。当然、そのでたらめもまだ回収されておらず、思い出のなかの親父は今日もまたイキり続けている。薄っぺらい金箔を前歯に貼り付けたままで。

 

 

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イラスト/石川恭子