クリエイティブと鼻の穴

コピーライターの袋とじ

マドロスの誤読

蒜山ジャージーヨーグルトのカップを持って妻「あ、これ蒜山(ひるぜん)って読むんだ。ずっと(にらやま)と読んでた」と言う。妻は四三歳で、迫力のある女だが、そんな女でも読み間違いをしてしまうのだから、そういったことは誰にとってもある。あるのだろうけど、自分の場合少々勝手が違うのは──職業上、名刺にはちょっとばかり「何ものか」であるかのごとき肩書きが刻まれていて、きっとそれは、受け取る人によっては洒落者っぽくも響くのであろう名称であり、そういうアッピールの仕方が、渡世におけるひとつの形式とはいえ、じゃあ何、あっしゃコピーライターでござんす。と完全に納得してやっているかというとンなこともなく、「へっ、しゃらくせえ。じっさい何ものでもねえよ」。と海を眺めながらパイプを吹かし、ボラードに足を乗せて汽笛を聞いている──そういった風来人の矜恃といいますかね、そこは時間のある人だけ考えてくれればいいことだけれども、そういう含羞を忘れたらあかんのやで。って自分に言い聞かせながら仕事をしているものだけれども、そのようなことを、いちいちビジネスの場で持ち出すと七面倒なことになりますし、名刺交換の場において「わたしはこういった肩書きでありますけれども、魂は常に波止場にあります」と劇画チックな影の顔で言ったら、お客様とて困惑・難渋・往生したあげく、苦笑いとともに「こら、あんまりお近づきにならんほうがええタイプやわ」と判を押されて失職する。

失職はいやだ。失職だけは御免被りたいわあと思うから、ぼくはそんなとき、余計なことは一言もいわず、しれっとした顔をしているのだけれど、そうやってしれっとした顔をしたらしたで、しれっとした顔の責任ちゅうのが生まれまして、これまた因果な話でありますが、つまりそれは「コピーライターさんといえば日本語のエキスパート。さぞかし達者なお方なんでしゃろ?」という無言のプレッシャーである。

だから困る。事実わたしには学もなければ品もない。見たまえ、わたしの着物の袖は長く、ズボンの裾は短く、巧妙なメイクで隠してはいるがわたしの左右の頬にはナルトのような赤いグルグルが刻まれてある。バカボン由来の。そんなわたしであるからこそ、流山である取材に協力していただいた住民の妹尾(せのお)さんのことを、イモオさんと呼んで平然としている。なんということであろうか。

言い訳する。かつて日本の飛鳥時代に聖徳太子に登用され、最初に国書を携え中国に渡った使者があった。その人の名を小野妹子(おののいもこ)といい、日本の発展に貢献した古代の偉人であるが、この人の存在が小学生のわたしにとってとてもインパクトがあった。まず妹に子と書いて「いもこ」と読むエキセントリック、かつ型破りなネーミング。あまつさえ、名前に子がつきながら女性ではなく男性という意外性。「その発想はなかった」と、六年三組のクラス全体に痛烈な印象を与え、名字が小野の小野カツヤ君はそれまで「カッチン」というあだ名で呼ばれていたがその日を境に「妹子」になった(※現在に至る)。ほかにも、その社会の授業以降、新ニックネーム「妹子」として華々しくデビューした日本全国の小野君、小野さんが無数に存在するにちがいない。

そんな体験を経て、わたしは日本の歴史と同時に、妹を「いも」と読む音の汎用性を学んだ。ですので、妹尾さんという方にお会いした瞬間から、なにの躊躇もなく、それはもうにこやかに、わたくし、イモオさんにお会いできて大変光栄でございます。本日は大変お日柄もよろしく、イモオさんのお美しいお顔がさらにお美しく輝く撮影日和でございますと軽口を並べ立てた挙げ句、名前が全部まちがっている。

妹尾さんの顔が引き攣っているように見えたのは、さも「あほやおまへん。かしこでございます」といわんばかりの肩書きを書き付けた紙を渡したうえ、「今回の制作物のコンセプトは──」などとハイパーメディアクリエイター然としたドヤ顔でプレゼンテーションを行ったのにもかかわらず、目の前でイモイモイモと誤読を繰り返しているこの浅学な道化に対する哀れみの念があったのかもしれん。

そんな状況にセコンドからタオルが投げ込まれるのにそう時間はかからなかった。ディレクターのF氏がその場をとりなすように、「では、セノオさん。本日はよろしくお願いいたします」と、ぴしっと言ったところで、わたしはすべてを理解し──聖徳太子の命を受け「日いずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という書を持って渡航する遣隋使の船を波止場で見送るマドロスの哀愁をほんの一瞬漂わせたのち、「じゃっ、セノオさん。まずはプロフィールからお聞かせください」と、しれっと言った。

 

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イラスト/石川恭子