クリエイティブと鼻の穴

コピーライターの袋とじ

うんことちんすこう

もうタイトルにうんことか入り出すとだいたい場末である。場末はいやだ。場末にはなりたくないと思ってブログをはじめたが、自ら進んで場末に足を踏み入れてしまった。もうだめだ。わたしは場末だ。場末の広告屋として生きるしかない。ちなみに「場末」のイメージについては各々あると思うけれども、自分の場合は昭和三〇年代の尼崎で、昼ひなかから焼鳥屋のおばはんが側溝をまたいで小便をしているイメージである。事実かどうかは知らない。家に来た親戚のおっさんが、べろべろに酔って話していたことである。「アマ(尼崎)を歩いていると、ドブをまたいで立ち(?)ションしているおばはんが角を曲がるたびにおる」と言っていたのである。当時公害の問題などでも騒がれていた工業地帯である尼崎は、お世辞にもガラが良いとはいえない土地柄だったけれども、少なくとも「角を曲がるたびに」というのは大げさではないかと思っている。そのおっさんは、「日が暮れてくると(小便するおばはんが)どんどん増えてくる」と言っていたけれども、そんな路地こわくて歩けない。曲がり角の手前で、「この向こうで、おばはんが小便しているかもしれない」と感ずる恐怖はいかほどのものであろうか。この場合は、「おっさん」よりも「おばはん」の方がこわい。そこで「おばはんと目があったらどうしよう」とか思うし、側溝におばはんがずらりと並んでしゃがんでおり、わたしが角を曲がるとそのおばはんらがいっせいにこちらを振り返ったとしたら、むしろわたしが小便を漏らすだろう。食事中の人には大変失礼した。

 

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イラスト/石川恭子 

 

そんなわけで(どんなわけだ)今回はどう転んでも場末のエッセーであるので、場末なこともどんどん放り込んでいきたいと思う。自爆上等である。みんなに男気を見てほしいと思う。だいたい自分がふだん身をおく広告業界というのは規制だらけだ。あれ言っちゃダメ、これ言っちゃダメ、この表現はNG、そのようながんじがらめの世界で、ストレスは次第にわたしの心を蝕んでいく。いきおいアナグラムで一見そうとは分からぬが、読み解くとえげつない放送禁止用語がふんだんに盛り込まれたキャッチコピーなぞを書いてやろうかしらんと思うこともあるが、小心者ゆえにできないでいる。自分にできることといえば、たとえばドラッグストアに健康食品として並ぶウコン商品──ウコンエキス・ウコン粉末・ウコン錠剤といったものの、いくつかのPOPをこっそりウンコに書き換え、それに気づかない客を陳列棚の影から眺めておほほと溜飲を下げるとか、そういうスケールの小さいことぐらいである。だけど、ウコンがウンコに書き換えられていたとしても、多くの紳士淑女がそれと気づかずにウンコをお買い上げになるのではないかとわたしは睨んでいる。なぜなら──これはけっこう自信がある持論だけれど、『ウコン』という文字列を見たときに、まず最初に人間は、『ウンコ』と読んでいる。少なからず、先ず一度そう認識していると申し唱える政党からこのたび立候補するものである。

 

これは老若男女・金持ち・貧乏を問わず人間にとって、「ウコン」と「ウンコ」、どちらが根源的に身近な存在であるかという問いであって、いわんやそれは「ウンコ」である。マリー・アントワネット時代、ヴェルサイユ宮殿の庭が実はウンコだらけだったという歴史の事実を持ち出すまでもなく、排泄という人間の生理的な欲求に直結するものとして「ウンコ」はあり、健康な人であれば一日に一度はお目にかかるであろう、こんがり焼けた湘南ココナッツボーイ。そんな、目のクリッ!とした「ウンコ」と親しくしているわたしたちであるからこそ、なんの前ぶれもなく街角で不意に「ウコン」という文字列が目に飛びこんできたとき、真っ先に脳裏を駆け抜けるイメージは湘南ココナッツボーイその人である。だがそれはまだ「認証」に至る以前の記号であり、そのあと立ち上がった思考により現実的な諸状況を判断して脳のなかで「ウンコ」は「ウコン」に書き換えられ、認識に至るといった塩梅だ。


人間の高度な脳はそういったことを即座にやってのける。そうして、サロンに足しげく通うお上品な方々は、ウンコに翻りそうになったウコンを即座に「ごめんあそばせ」とばかりに「ウコン」に引き戻す。それは脳内で行われた完全犯罪であり、だれにもばれずにそうやったと思っているのだろうが場末のドブで目を光らせているものにとっては明々白々の事実である。「いま一瞬、ウンコって読みましたよね?」。


同じ事例には、沖縄の伝統的なお菓子「ちんすこう」がある。くりかえすが、「ちんすこう」だ。この文字列はヤバい。もはや、悪意しかない。街角で不意に「ちんすこう」という言葉が目に飛びこんできたとき、あるいは「ちんすこう」と書かれたのぼりがビルの谷間でヒラヒラと風に揺らめいているのを見たとき、会社の休憩室で女子社員が談笑しながら口いっぱいに「ちんすこう」を頬張るのを見たとき、どうしようもない気もちになる。曲がり角で、出会い頭にドンとぶつかられ、「ちんすこう」の「す」と「こ」が入れ替わったのなら、世界の歴史が書きかえられる。
そして、わたしの脳裏に浮かぶのは次のようなシーンだ。

 

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「おみやげー」と言って紗綾子は古い沖縄の舟がパッケージに描かれたお菓子をオープンカフェのテーブルの上に置いた。
「おっ、きたね『ちんすこう』。けっこう好きなのよ」
「でしょ。あったら食べちゃうよね?」
由紀恵は無理やり笑顔をつくった。夫の会社のパーティで何度か話し、友人になったこの女が以前から夫の不倫相手であることは分かっていた。今日というきょうは、そのことを切り出してはっきりさせようと思っていた。
「出張?」
「──日帰りだけどね。もう一瞬よ。瞬間移動」と、甲高い声で笑う。
「うちのダンナも先週九州に行ってたんだ」
思いきった切り込み方をしたことに、自分でも驚いた。
「あ、そうなんだー近いね。偶然だね」
と紗綾子は窓の外に目を泳がせ興味のないふりを装う。テーブルを叩く小刻みな手の動きに動揺が隠しきれない。あと一押し。もう一押し。いつものように社交辞令と愛想笑いで帰すわけにはいかない。カラカラに乾いた喉に熱いダージリンティーを流しこむ。偶然見てしまった夫の携帯電話。そこに残された紗綾子との生々しいメールのやりとり──ベッドのなかで交わし合う睦言を写したような文面がまぶたの裏に蘇る。恋愛の背徳とスリルを二人だけで共有しているような、自分たちにはもうとっくに失われた瑞々しい感情がそこにあることに激しい嫉妬の炎が渦巻いた。絶対に、許せない。
「いっしょに居たんだよね?」
「えっ?」
「うちのダンナと──紗綾ちゃん」
仰天したように口元に手をあてる。そのしぐさが芝居がかっていたことに苛ついて、つい「ちんすこう」の袋を握り潰した。弾かれたように立ち上がり、由紀恵はやわらかいピーチローズのチークが引かれた紗綾子の頬を激しく平手で打った。
叩かれた頬をおさえてうずくまる紗綾子を置いてレジに向かい、投げつけるように二人分の会計を済ませると、カフェの店内に響き渡るほどの声で由紀恵は叫んだ。

「この、ちんこ吸い!」