クリエイティブと鼻の穴

コピーライターの袋とじ

2017年、クリエイティブのエナジーをチャージする。エロ小説で。

仕事に疲れてうどんぐらいしか食べる気がしないとき、明日への活力をチャージするのに最高の方法を見つけた。それが官能小説を読むという方法である。

ちまたには性の情報が氾濫し、ネットでワンクリックすれば男女のまぐわうえげつない映像に即アクセスすることができる今日。成人雑誌が買える深夜の自販機の前を通行人のふりで何往復もして、人通りが途絶えるのを待ったわたしのあの青い春は何処へと消え去ったのか。万一知り合いにばったり会ってしまった時のことを考慮し、犬を連れていればカモフラージュになるだろうと、深夜になぞの犬の散歩をしながら(犬もいい迷惑である)、それでも決心がつかず何度も同じ道を行ったり来たり──。

 

いつもどこかで遠くのほうで/カーニバルが開かれているような気がして(少年とライオン)

 

と思春期に抱く憧憬を歌ったのは友部正人だけれども、わたしもそのとき、近くて遠いエル・ドラド(エロ・自販機)に辿り着けることをいつも夢想していたのだった。

 

あまり懐古をはじめると年がばれるのだけれども、あの頃のエロはただ頂上の景色を手っ取り早く見せるものではなく、山麓から一歩一歩自分の足で登りつめる冒険とロマンがあった。「隠されれば隠されるほど見たくなる」というのは官能の法則だが、文章の連なりのみで性的な感覚に訴え脳内に情景を立ち上がらせる官能小説は、視覚への直接的な刺激で欲情させる動画よりも、ある意味、エロい。

そして官能小説のすばらしいところは、「単なるエロい文章ではない」というところだ。その独特の文章に触れることで多様な表現力や高度な言語感覚を養うことができ、豊かなイマジネーションを獲得することができる。

 

唐突だけれど、ここでクイズを出す。

 

アイスキャンディ。

馬の首。

回転ドリル。

瓦屋根。

熟したトマト。

 

果たしてこれらが何の「隠喩」かお分かりだろうか?

では、もう少し続けてみよう。

 

シャベル。

すりこぎ棒。

ナマズ。

ナマコ。

灼きゴテ。

 

これでどうか。それらの具象を頭のなかに思い浮かべてみたとき、ひとつの像を結ぶシルエットに心当たりはないか(いや、あると思うなあ)。このあたりでピンとくる貴女は非常に聡明か、もしくはエッチだ。そう、これらは男性器の隠喩なのだった。

「アイスキャンディ」や「すりこぎ棒」などは視覚的な近似値も大きく想像に難くないが、「馬の首」「熟したトマト」あたりは少々心象風景に拠ったエキセントリックな喩えであり「なるほどそういう見方、感じられ方もあったのか」と感心する。

また「手をつけられない猛牛」(萩谷あんじ著『ヒート』)や、「よこしまな淫柱」(吉野純雄著『木綿のいけない失禁体験桃色の乳頭しゃぶり』)、「びっくり箱のお人形」(勝目梓著『愉悦の扉』)、「いけない張本人」(宇佐美優著『情欲の部屋』)、など形容詞によって修飾されることでイマジネーションはさらなる跳躍を得る。「いけない張本人」も、性の本質ともいえる自己矛盾を孕んだ名喩だが、個人的に好きな隠喩は、宇佐美優著『情欲の部屋』における、「毛の生えた拳銃」という喩えで、文中ではこのように表現される。

 

毛の生えた拳銃が、ひとつきで銃身ごと、花弁を貫通すると、友美は大きく身体を前へのめらせ、獣じみた声を上げて、身体を震わせる。

 

まさにハードボイルド。「毛の生えた拳銃が、ひとつきで銃身ごと、花弁を貫通する」という表現は、「片手にピストル/心に花束」という歌詞をジュリーに書いた阿久悠の男っぽいロマンにも通ずる馨しさがあり、思わずじゅんとしてしまう。なお、ここで出てきた花弁とは言わずもがなだが女性器のことで、官能小説において女性器をあらわす表現も実に多様である。

 

チューリップの蕾」(高輪茂著『巨乳女医 監禁レイプ病棟』)

熟れたイチジク」(山口香著『天女の狩人』)

桃色のアワビ」(矢切隆之著『倒錯の白衣奴隷』)

秘密のルビー」(勝目梓著『愉悦の扉』)

象の濡れた口」(同)

全宇宙と響きあう孔」(南里征典著『欲望重役室』)

 

と、その比喩は花、果実、貝、宝石、動物、宇宙、と多彩なバリエーションを見せる。同じものを喩えるのに──花から宇宙まで──これほど振り幅の大きい文芸のジャンルがあるだろうか。勉強になるなあ。なかでも自分が好きなのは、女性器を「粘膜の窓辺」と文学的に表現した南里征典の『新宿爛蕩夫人』。佇むのなら、そんな窓辺に佇んでみたいと思う。ちょっと生臭さそうだが。

また同氏による著作『欲望の狩人』において女性器をフランス貴族カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌ侯爵夫人になぞらえてエレガントに表現した「さあ、今度はぼくの番だ。女監査役のカトリーヌ嬢を舐めさせて下さい」という筆にも恐れ入る。今後、世の中にはびこる女性器の俗称はすべて「カトリーヌ嬢」に統一したら、世界はもっと優雅で優しいムードに包まれるのではないかと思う。ラブ・アンド・ピース。

 

さらには、絶頂を表現する声の語彙も豊かだ。このあたりの言い回しも、皆さんもぜひパートナーと気軽に「アクセサリー感覚で」使ってみてはいかがか。

 

イグ、イグ、イグ~ッ」(宇佐美優著『情欲の部屋』)

キャオン!キャホホオゥ」(巽飛呂彦著『赤い下着のスチュワーデス』)

おひっ……おひぃーん!」(深山幽谷著『美少女・沙貴 恥辱の牝犬教育』)

ぐひィィッ!!がふゥッ!!」(松本龍樹『女高生百合飼育』)

染みる、染みる!」(木屋進『女悦犯科帳』)

宙返り、宙返りよ」(赤松光夫著『快楽調教』)

チッキショウ……チッキショウ」(南里征典著『特命猛進課長』)

中が戦争になっているのよッ!……」(牛次郎『風俗狩り』)

 

このように、非常にバラエティ豊かなラインアップとなっており、どの表現も非常に胸に差し迫ってくるものがある。頂点に達した快楽は転じて憎しみ、はたまた戦争にまで至ってしまうところに人間存在の奥深さ──官能的に表現するなら「内太ももの付け根に茂る秘毛の奥で割れ開いている熟女の口(※)」が表現されている。って、なんだか余計にわからなくなった。

※水樹龍著『女教師と美少女と少年 保健室の魔惑授業』

 

このように官能小説は、表現のキャパシティーを広げ、日々クリエイティブに精を出す(おっと失礼)わたしたちに新しい可能性の扉を見せてくれる。そして何よりも、非常に元気が出る。

 

「最後に、今回のエッセイを書くにあたり参考にさせてもらった文献を紹介しよう。『官能小説用語表現辞典』。作者は永田守弘さんという人で、「性愛表現の生き字引」「官能小説を一万冊読んだ男」とも呼ばれる偉人変人である。この本は何がすごいというと、日本の現代官能小説の系譜である作品から、近年に発表された作品まで官能小説ならではの性的表現を二二六九語取り上げ、五十音順に掲載している。

これを読めば、だれでも官能小説における表現や言語感覚を養うことができ、豊かなイマジネーションを獲得することができる。読む前と読んだ後の世界は確実に違うものとなり、

 

「あけましておめでとうございます」

 

そんな、ありふれた新年の挨拶でさえ、やたらとエロチックに響くから不思議である。

 

 

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 イラスト/石川恭子