クリエイティブと鼻の穴

コピーライターの袋とじ

笑顔を引き出す写真術

 

クリエイティブの現場では、被写体の自然な笑顔を引き出せるカメラマンが重宝される。広告などで使われる写真は、モデルの表情いかんによって商品の訴求力も大きく変わってくるからだ。口角の微妙な角度によって、売り上げが何百万、何千万と変わるのだから、おそろしい世界である。

そこで思い出すのは、数年前にある仕事でごいっしょした、おそるべき敏腕カメラマンのことである。Sさんというその四〇代の男性カメラマンがいかに敏腕かというと、「ほぼ、百発百中で被写体を笑顔にする」ことができるのだった。

百発百中。本当にそんな、次元大介のようなカメラマンがいるのか? と、訝るむきもあるかもしれないが、いるのである。ただ、そのSさん、腕前に似合わず見た目がちょっとアレである。

アレ、という言い方もアレなので具体的にいうと、まず頭に毛がない。毛がない、というのも語弊があるので、詳しくいうと、ほぼ毛がない。まとめると「毛がないことはないが、ほぼない」。もしくは「毛があるにはあるが、ハダカデバネズミ程度にしかない」ともいえる。そして、体型は小柄で、ずんぐりとしている。全体像としては「ゆるキャラと落武者を足して2で割ったような人」といえば、イメージできるだろうか。

ただそれはあくまでも「見た目」である。人を見た目で判断してはいけませんということを、わたしたちは親や先生から口酸っぱく言われた。そして、Sさんのことを初対面で「なんやこの、ちんちくりん」と断じ、にわかに信頼しなかった自分も、後にその道徳を改めて思い知ることになる。

では、その敏腕カメラマンのSさんが、いかにして被写体を「完ぺきな笑顔」に導くのか。わたしなどには到底まねのできない、その高度なテクニックをこれから紹介する。ぜひ、プロのカメラマンの人も参考にしてみてほしい。

 

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※写真と本文は関係ありません

 

 ある大手ハウスメーカーの雑誌広告をつくるため、都内の新築住宅へおじゃましたときのことである。

取材に訪れた我々を快く出迎えてくれたのはそこに暮らす若い夫婦。アタシたちなんかがモデルでいいんですかー? と、恐縮する奥さんが出してくれた茶菓子などをつまみつつ、インタビューはすみやかに終了し、続いて写真撮影という段になった。
明るい光が差し込むリビングのソファに並んで座るご夫婦にむけて、Sさんがカメラを構える。
「じゃあ、テストです」
カシャ。
「もう一回撮りますね」
カシャ。
どうもふたりの表情が硬いと感じたわたしは、もう少し笑顔でお願いします、と言った。言いながら、相手がプロのモデルならともかく、こういった撮影に慣れていない一般の方にぶしつけな注文をつけているのかもしれないと思った。


以前、自分が撮られたときもそうだった。被写体として「自然な笑顔」を心がけるほど、なにが自然なのかよくわからなくなり、途方に暮れた。自然とは、自分が自然にしているということにさえ気がつかない状態であることなのだから、まずはこの、「カメラマンに撮られている、オレ」という自意識を消し去らなくては、自然な表情になどなれやしない。そう思って、できるだけ周りの状況を感じないように試みたのだけれど、いかんせん、無機質で威圧的なカメラのレンズを向けられて、かんたんにそう思い込めるものでもない。ましてやプロの使うレンズは口径も大きいので、迫力がある。見つめていると、その黒ぐろとした虚空に吸い込まれそうになる。

「もしかしたらこの人は、カメラマンに変装したスナイパーではないのか?」。

ふと、そんな懐疑が頭を掠める。カメラはニコンD800に似せてつくられた精巧なライフル銃。そしてわたしは、ニセの依頼におびき出されて、おめおめとスタジオに現れた幼気(いたいけ)な獲物。

 ハイ、チーズ! の合図で最高の笑顔を見せた瞬間、わたしの頭は吹き飛ばされ、白いスタジオの壁に赤く毒々しい花を咲かせる。カメラマンに扮したスナイパーは表情ひとつ変えず、壁に貼りついた肉塊の炸裂した色絵を胸ポケットから取りだしたスマホでパシャッ! と撮ると、無言で部屋を出て行く──。

 そのような想像とともにシャッターを切られたもので、そのとき撮られたわたしの写真は「楳図かずお先生の描く驚愕ホラー顔」さながらの表情になっていた。

 

カシャッ、カシャッ、とカメラマンがシャッターを切る音が部屋に響く。ソファに座った被写体の表情はふたりともどこか不安げで、笑おうとして唇を歪めては、うまくいかずに目が泳ぐ。

 わたしも軽口を叩いたり、世間話をふって場を和ませようと試みるのだけど、シャッター音とともに緊張してしまうようで、表情が晴れない。困ったな、と思ったそのとき、

「じゃあ、ちょっとこっちを見てください」
と、Sさんがファインダーから目を離し、右腕をゆっくりと上げた。そして頭上で軽く手を振ると、親指をスッと下げて自らの頭を指さした。

 

そこには踏み荒らされたピッチャーマウンドのような頭部があり、「見て」と言われたものの、直視するには耐えられず、ふたりの被写体の目はサンシャイン水族館のイワシの群泳を思わせるほどに激しく泳ぎはじめた。

 通常、相手にそのような動揺の体(てい)を見せられると、たとえばわたしのような小心者であれば、あちゃあ、と思い、あイタタタタタと思い、「めっちゃハゲって思われてるやん」。と痛み入り、しくしくと悲しくなり、むしろ頭部を忌むべきものとして隠す方向に心が向かう。だが、くだんの敏腕カメラマンときたら、ひるむ様子もなく、

「ハイ、もっと見てー」。

「ちゃんと見てー」。

「もっと僕を見てー」。

と、しつこくやるもので、結果、たまらんようになって被写体がぶふっと吹き出してしまったところでパシャ。 

 

おみそれいたしました。
これぞ手練の技であり、自己犠牲を厭わない真のプロフェッショナルの姿である。「笑ってください」という要求を一方的に相手に課すのではなく、撮影者と被写体の間に笑わざるおえない状況やムードをつくりあげたのだ。
そこから場は和み、自然な笑顔がこぼれる楽しい撮影会と相成った。まさに凄腕カメラマン、ここにありである。


その後わたしは愚かなことにSさんの名刺を紛失してしまい、以降連絡がとれなくなってしまった。今日もまたどこかでSさんは一眼レフカメラともうひとつの大切な商売道具──延長十二回、継投に次ぐ継投で、中継ぎ陣にだいぶ踏み荒らされたピッチャーマウンドのようなハゲ──を使って、最高の笑顔を写真におさめていることだろう。

 

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イラスト/石川恭子